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大学の卒業式に出席する親は過保護?親子関係・時代背景から考える

春の風が吹きはじめる3月、大学では卒業式が各地で行われます。

 

その日、大学構内には袴姿やスーツ姿の学生、そしてその隣にいるスーツ姿の親御さんたちの姿もちらほら。

 

そんな光景を見て、

 

「え、大学の卒業式に親が来るの?」

「過保護すぎない?」

「成人してるんだから一人で出席すべきでは?」

 

という声が聞かれることもあれば、

 

「子どもの成長を見届ける大切な日」

「ここまで支えてきたからこそ、一緒に祝いたい」

 

という肯定的な意見もあります。

 

では、実際のところ大学の卒業式に親が出席することは“過保護”なのか?

 

今回はその疑問を、現代社会の価値観や親子関係、時代背景を踏まえて深掘りしていきましょう。

 

大学の卒業式に親が来る人はどれくらい?

まず気になるのは、そもそも大学の卒業式に親が出席するのは一般的なのか?という点。

 

実際、近年の大学では親の出席を想定して「保護者席」「家族向けライブ配信」などを設けている学校も増加傾向にあります。

 

統計・現場の声(参考)

  • 首都圏の私立大学では約3割〜5割程度の学生に保護者が同伴しているというケースも。
  • 地方や小規模大学では参加率がさらに高くなる傾向もあります。
  • コロナ禍以降、ライブ配信での参加も一般化しつつあり、直接来なくても「式に関心を持つ親」は多いのが現状。

 

つまり、「親が来る=珍しい」「過保護」というわけではなく、むしろ一定の割合で“普通に見られる光景”になりつつあるのです。

 

親が大学の卒業式に出席したがる理由

では、なぜ親は子どもの大学卒業式に行きたがるのでしょうか?そこにはいくつかの心理や背景が存在します。

 

親が大学の卒業式に出席したがる理由① 教育の区切りを実感できるから

大学までの学費・生活費を負担し、子どもの学業を支えてきた親にとって、卒業はまさに「一区切り」。

言わば「親としての達成感」を実感できる瞬間でもあります。

 

「あの子がここまで来た」

「4年間よく頑張った」

 

そんな思いを直接目で見て確認し、感謝と成長を共有したいという気持ちはごく自然なものです。

 

親が大学の卒業式に出席したがる理由② 子どもの晴れ姿を見たいという純粋な愛情

大学の卒業式では、特に女性は袴や振袖を着て華やかに装います。

普段見慣れない“成人としての姿”を目にしたいという気持ちは、親として当然の感情です。

 

また、SNSの普及により、「袴姿の娘と記念写真を撮る」というのが親世代の楽しみにもなっています。

 

親が大学の卒業式に出席したがる理由③ 一緒に写真を撮って思い出を残したい

多くの親が「この先、家族全員で写真を撮る機会がどんどん減っていく」と感じています。

就職・結婚・転勤など、子どもが社会に出ると家庭を離れる時間が長くなるため、

卒業式は「最後の家族イベント」として貴重なタイミングにもなっているのです。

 

「過保護」と感じる理由とその誤解

では一方で、「大学の卒業式にまで親が来るのは過保護では?」という見方はどこから来るのでしょうか?


「過保護」と感じる理由①大学=大人としてのスタート地点という認識

大学生はすでに成人年齢を超えた“おとな”。

「式典くらい自分で出席すべき」「親の手を借りるなんて恥ずかしい」という価値観を持つ人も一定数います。

 

特に「自立=親から距離を置くこと」と考えるタイプの人にとっては、

親の出席=依存関係の象徴=過保護、と映ってしまうのです。

 

「過保護」と感じる理由②親の「出しゃばり」に見えるケースも

時には、親が主役のように振る舞ってしまったり、写真撮影を強要したりすることで、子ども自身が「恥ずかしい」と感じてしまうことも。

 

この場合、「過保護」というよりは“距離感の問題”であり、親の関わり方が過干渉に見える瞬間が「過保護だ」と思われてしまう原因になり得ます。

 

過保護かどうかは“行動”ではなく“関係性”で決まる

ここで重要なのは、「卒業式に親が来る=過保護」なのではなく、その親子関係が自立を妨げているかどうかが本質的な問題だということです。

 

健全な関係の例

  • 「写真だけ撮ったらすぐ帰るね」など、距離感を尊重している
  • 子どもの希望を聞いて参加を決めている
  • 卒業を喜ぶだけで、今後の進路や就職を過干渉に聞かない

 

このような関係性であれば、親の出席はむしろ「サポート役としての自然な立ち位置」になります。

 

海外ではどう?卒業式文化の違い

ちなみに、アメリカやイギリスなどの大学では、卒業式に親が出席するのはごく一般的で、むしろ当然とされています。

 

ガウンと帽子を着た卒業生がステージで名前を呼ばれ、親は大声で歓声を上げて祝福する――そんな光景がテレビや映画でも描かれていますよね。

 

つまり、家族全員で「節目」を祝う文化は、むしろ国際的に見ると「普通」のこと。

「日本で親が来るのは過保護」という考えの方が、実はやや特殊とも言えるのです。

 

卒業式は「親の自己満足」なのか?

否定的な意見の中には、

 

「親が来るのって、結局は自己満足でしょ」

というものもあります。

 

たしかに、子どもが望んでいないのに無理に出席したり、「もっとこうしてほしい」「一緒に記念写真をたくさん撮って!」と強要すれば、自己満足の押しつけになる可能性はあります。

 

しかしそれも、親の側に「感謝や愛情を直接伝えたい」という気持ちがあるからこそ

本当の意味での“過保護”ではなく、むしろ自然な「親心」として受け取ることもできるのではないでしょうか。

 

まとめ:大学の卒業式に親が出席しても、それは「過保護」ではない

結論として、大学の卒業式に親が出席することは決して過保護ではありません。

むしろそれは、子どもの門出を心から祝いたいという、ごく自然な感情や文化的背景に基づいた行動です。

 

ポイントまとめ

  • 現代では大学の卒業式に親が来るのは珍しくない
  • 支えてきた教育の節目として、親にとっても大切な日
  • 自立を妨げない限り、出席は過保護ではなく「愛情の表れ」
  • 海外ではむしろ家族で祝うのがスタンダード
  • 親子で話し合って、お互いが納得できる形で過ごすのが理想

最後に大切なのは、「来る・来ない」ではなく、「どう一緒にこの日を迎えるか」ということ。

 

卒業式は、子どもにとっても親にとっても、人生の節目。

 

その日が温かな記憶として残るような関係性を築けると素敵ですね。

 

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ゆいと

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